秀太郎歌舞伎話B 〜 忠臣蔵九段目の女二人

 2002年は忠臣蔵のお話の基となりました赤穂浪士討ち入りから三百年ということで、歌舞伎でも「仮名手本忠臣蔵」が上演されました。通し狂言としての上演のほか、南座の顔見世では九段目が上演されまして、ご覧頂いた方も多いかと思います。

 「忠臣蔵」は三大義太夫狂言のひとつで大変人気のある演目ですが、僕は特に九段目が好きです。父(十三世仁左衛門丈)も愛着のあったお芝居で、七段目の祇園一力茶屋の場の華やかな哀愁とはまた違い、いい意味で重みがあり、また、情愛の深い場面だと思います。もちろん「忠臣蔵」そのものがずっと長い時間をかけて先輩方がいろいろな工夫をなさって、それが型として受け継がれてきたものですから、どの段をとっても大変魅力的なお芝居です。六段目の面白さといい・・・本当によくできたお芝居です。僕は歌舞伎ではあまりかかりませんが、二段目なども好きですね。江戸では七段目ですぐに討ち入りになってしまいますが、上方では九段目を大切にしています。九段目の本蔵の腹切りは、まあこれは客観的には「腹切り」ということではないですが、判官さんの切腹、勘平の腹切りと並んで、忠臣蔵を通しては大変意味のある不可欠な場面だと思います。

  全体を通して主要な役をみても女方が少ない忠臣蔵の中で、九段目は女方が中心となってお話が展開されます。僕自身は戸無瀬はやったことはないのですが、九段目でいえばお石と小浪は何度かやらせていただいております。戸無瀬という役は、忠臣蔵全通しの中で立女方がやるお役です。ですが、お芝居の中での役の位置付けというのはお石より格下でなければなりません。政岡(伽羅先代萩)と同じような緋綸子の衣裳ですから、格も随分と上にみえてしまいがちですが、そこでお石よりも上になってしまってはいけません。

 また、お石というお役は立女方というのではありませんが「大星由良之助の妻」ですから、ほんの少ししか登場しなくても、その存在感や格というのがなくてはならないのです。由良之助と本蔵のどちらが格が上かといえば、由良之助なわけです。この場面での主役は戸無瀬ですから、バレエでいえば劇団のプリマがなさいますが、役の意味を考えて、お石は戸無瀬を抑えるくらいの肚を持って演じなければなりません。

 今回の顔見世で僕はお石をやらせていただいていますが、江戸と上方ではやり方も違いますし、同じ上方でも今回の成駒屋さん(中村鴈治郎丈)のやり方はかなり本行(浄瑠璃)に近いやり方ですから、それに準じてさせていただいております。いろいろな方から「今回の秀太郎さんのお石は、戸無瀬よりも格が上に見えました」ということをいっていただきましたが、もちろん僕自身そういう気持ちをもって演じておりますが、戸無瀬をなさった鴈治郎さんが戸無瀬の役の位置付けをきちんとなさっているのでそう見えたのだと思います。

 お石は敵役ではないけれど、イジワルばあさんになってしまうことがあります。それは、観客は肚をわかろうと思って観ているわけではないでしょうし、そこへきて戸無瀬が後添えの立場でなさぬ仲の娘の嫁入りのためにわざわざ京都へ出向きこの始末。哀れですよね。一所懸命さとけなげさがみえますよね。それと対比するとどうしてもイジワルに見えてしまいがちです。それをある程度の情をもって演じなければならないのです。

 無論、戸無瀬というお役にしても健気さを持っていなくてはならないお役です。小浪とはまるで姉妹のように仲良く、そして一所懸命なんですから。でも、大立者の立女方がやってしますと、哀れがとぼしくなってしまいます。立女方の風格を持って、なおかつ健気さ、いじらしさ、かわいらしさを出すというのは大変です。だからといって、それをリアルにやってしまうと歌舞伎ではなくなってしまう。この風格と女のかわいらしさ、これがちゃんとだせないと九段目はやはりダメだと思うのです。そういった意味でも、今回の成駒屋さんの戸無瀬は非常に結構だと思います。

  上方のやり方といいましても、今回の成駒屋さんがすべてではありません。先代の梅玉さんの戸無瀬はもっとじゃらじゃらとした感じの、いわゆるお芝居の戸無瀬で、例えば「あのお石様の・・オホホホホ・・おっしゃることわいなぁ」と笑いをいれたりとゆったりとした遊びっぽいものがあって、かなり歌舞伎としての演出が取り入れられています。一方、浄瑠璃のほうでは詰めたかたちでいきます。どちらがいいかということはないのですが、僕たちは義太夫をとても大切にしていますから、今回は本行に近い間のとりかたをしています。

 例えば、小浪を殺そうとしているところで「これ娘、あれを聞きゃ。表には虚無僧の尺八。~?鶴の巣篭もり」というのは、どなたがなすってもセリフでおっしゃいます。それも朗々と・・・。ここは役者の声の聞かせどころ、風格の見せどころだからそれでもよいのでしょうが、本当の九段目を飲み込んでいけばそんなこといっていられないはずなんです。「~?鶴の巣篭もり・・・」、鶴の母親が子を温めている、そういう情景を表したところですし、また、義太夫もいい節がついている。それを先人の歌舞伎役者が「鶴のぉすごぉもぉり〜」とすごんでいってしまったんですね。これはこれで役者の魅力をみせるところですから悪いということではなく、基本的にはいろんな形があってもいいのです。ただ、大阪だ、江戸だといったとしても、もともとは上方で始まった浄瑠璃です。その辺り、僕は大切にしたいと思っています。

 親が忠義のために子供を差し出すというお話は歌舞伎にはたくさんありますが、僕も小さな子供がいるせいか、最近は盛綱陣屋や寺子屋は抵抗を感じるようになってしまいました。子供は親が頼りなのに、親が守ってやらなければどうするって思ってしまうのです。でも、そんなことを考えたら、歌舞伎はやっていられないですよね。でも、本蔵はそんな中では人間っぽい。子供の幸せのために自分の命を捨てるわけですから。その情愛が九段目の美しさでもあると思います。

  九段目というのは芝居のお好きな方には非常に面白いと思います。僕は今は義太夫口調でやらせて頂いていますが、もっと歳をとればもう少し丸みのあるお石ができるのではないかと思っています。是非それを楽しみにしていてください。 (2002年12月)
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